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古川 貴之 (Vo. & Gt.) × 松本 翔 (Gt.)
MARSBERG SUBWAY SYSTEM
結成インタビュー

――まず、バンド結成の経緯から教えてください。

古川「THE PINBALLSがストップすることが決まったときに、俺はやっぱりバンドが好きでどうしてもバンドが作りたかったので、自分の尊敬している人の中で新しくバンドを組むなら誰が良いかなっていうのをずっと考えていたんです」

――そして白羽の矢が立ったのが、Outside dandyのギタリストとして活動していた翔さんだった、と。

古川「そうですね。2019年頃だったかな、THE PINBALLSとしてOutside dandyの企画に呼んでもらった時に、感動したんです。当時僕はTHE PINBALLSの活動に色々悩んでいて、その理由のひとつがバンド内のコミュニケーションの無さだったんです。どことなく暗いムードがお互いにあるのを変えたくて……」

松本「確かに皆すごくスマートだったね」

古川「それで何かを変えるために、めんどくさいかもだけど、お互いに挨拶からやり直さない?ってメンバーに話していたんです。」

――大事なことだと思います。

古川「そうしたら、企画の日に俺らが会場に入るなり『おはようございます!』って今まで聞いた事がないくらい、dandyのメンバー全員で勢いよく挨拶してくれたんです。それで俺、泣きそうになっちゃって。一生懸命この企画の為に頑張ってきたんだろうな、っていうのがその声でわかったんです。それはまさに俺が求めていたものだったし、特にまっつん(松本)は本当に一生懸命で元気で礼儀正しくて。この人といつか何か仕事したいなあって想いがずっとあったんですよね。」

――そうだったんですね。翔さんはその時のことを覚えてますか?

松本「はっきり覚えてます。元々僕はTHE PINBALLが大好きだったので、何度もライヴに呼ばせてもらってたんですけど、僕もふる兄(古川)の印象が変わったのはさっき話してくれた企画の日でした。僕は自分たちの企画に呼んだバンドの本番前、必ずステージの袖にいるようにしてて。どういう心境でステージに出て行くのかなっていうのと、宜しくお願いしますってのを言うために。そうしたら彼は『あの挨拶見た?負けないように頑張ろう!』って、メンバーに挨拶のことを伝えてくれてたんです。僕らが大事にしていたことをそんな風に受け止めてもらえたのが嬉しくて。それまでも尊敬できるヴォーカリストではあったんですけど、人間性も好きな人だな、と」

――その古川さんからバンドに誘われて、翔さんはどういう気持ちでしたか?

松本「嬉しかったです。正直言うと、自分が主になってバンドを組むことはもうないだろうなって思ってたので」

――でも古川さんの存在はそれを覆すものだった、と。

松本「はい。この人の隣でギターを弾きたい、と思いました。ふる兄はOutside dandyの解散を発表してからすぐ連絡をくれて。その時はもちろんこのバンドのことは何も話してなかったけど、ギターは絶対に続けてほしい、って言ってくれて。純粋に感動しました。幸いほかにも幾つか声を掛けてくれるバンドもあったので、そんな人たちのお陰でギターを辞めずにいられたんです……辞めなくて良かった」

古川「本当にギター続けていてくれてありがとう……!俺みたいにどこか欠けてるタイプのヴォーカルって、良いギターと出逢えるかどうかでバンドができるかできないかが決まる。だから僕は中屋(中屋智裕/THE PINBALLギター)に出逢えたことにすごく感謝してるし、運命を握る神の使いという意味で、天使だと思ってるんです。そうしてひとり目の天使と出逢えただけでも幸せなことなのに、翔天使というふたり目にも出会えたから、その出会いを無駄にしちゃいけないし、頑張らないといけないな、って」

松本「それは僕も同じです。僕は歌を歌う人のために弾くギターが好きだし、今回もそうですけど、自分がかっこいいと思えるミュージシャンの人たちに自分の価値を見出してもらって来た。それに何より、僕だけじゃなくて勇真(鈴木 勇真/ベース)もヒデさん(岩中 英明/ドラム)も、古川 貴之というヴォーカリストに魅了されてこのバンドに加入したんだと思います」

――勇真さん、ヒデさんの加入はどのように決まったんでしょうか。

古川「メンバーは、俺とまっつんのどちらかが人間を知ってる人にしようと、ふたりで決めていました」

松本「そうなると僕の場合、やはり元メンバーなんですよね。その中で鈴木 勇真というベーシストはプレイヤーとしての信頼度も高いし人間としてもリスペクトしてる。そして何より一番の決め手は、彼がその時ベースを弾いてなかったってこと。おせっかいかもしれないけど、僕は彼にベーシストとしていて欲しかったから」

――同感です。Outside dandy時代のプレイを知っている身としては、もう一度ステージに戻ってきてほしいという気持ちはずっとあったので。

松本「そうでしょ?それでふる兄に彼の話をしたら、すぐに一緒にやりたいと返してくれて。すごく嬉しかった。」

古川「それは僕もベースは勇真くんが筆頭に浮かんでいたからだと思う。まっつんのバンドメンバーだったからじゃなく、いちプレイヤーとしても超一流だと思うし、人柄も大好きだったから」

松本「でも、さっきも言ったけどヴォーカルが古川 貴之じゃなかったら、たぶん受けてくれなかったと思ってます。何せ音楽から離れてたくらいだし……」

――そうですね。ヒデさんはどうでしょう。Jake stone garage休止後も、THE YELLOW MONKEYの菊地英昭さん率いるバンド・brainchild’sなど複数のバンドで活躍されていたりと、他のメンバーとは少し違った経歴の持ち主ですが。

古川「ドラムは最初、僕の尊敬するドラマーが数人頭に浮かんでいて。ヒデさんはその筆頭でした。そのうちスタジオに入ったのが5人くらいだったかな。その中でメンバーとの相性で考えると、最高にバチっときたのがヒデさんだったんです。エイトビートの切れ味に、殺されるくらいの気迫を感じて。この人は僕が憧れてたロックンローラーのビートを持ってるな、って」

――そこに惚れ込んだ、と。

古川「はい。あと発言がロックだよね!」

松本「うん、一番バンドマン。めちゃくちゃ面白いですよ、ヒデさん」

古川「加入が決まったときも『俺は君の歌が好きだから入るけど、俺が入るんだから安い歌は唄うな』って。あんなカワイイ顔して、かっこいいワルなんです(笑)」

――ロックですね。でもこのバンド、他のメンバーが控え目というかギラつくタイプじゃないから、ヒデさんみたいなキャラは有難いんじゃないですか?

古川「そうなんです!一番年上だから頼りになるし。初ライヴの日も、皆が緊張してたら『俺がしっかりやるから大丈夫だよ。好きにやりなよ!』って言ってて、やっぱりワルいな(笑)って」

松本「時々そうやって漢の部分が出てくるんだよね(笑)。でもそこがかっこいい。技術的な面もそういうところも、バランスがいいでしょ?」

――そう思います。ヒデさんの存在もそうですが、初ライヴを観てバンドとしてのバランスの良さを感じました。初舞台という緊張する状況なのに、お互いのことが良く見えているな、と。

松本「今のメンバーって話し合いができるんですよ。バンドマンってプレイヤーである以前に人間だから、当たり前のことだけどそれってすごく大事なことで。ふる兄も言ってたんですけど、みんな勘が良い。だから話が早いし、言葉のキャッチボールがすごく有難い」

古川「呼吸を合わせるというか、相手の気持ちまで察する事が出来る、勘の良さが3人にはあって、めちゃくちゃすごいと思います」

――コミュニケーションでのストレスが少ないって、人が集まって何かをする上ですごく重要ですよね。だけど、同時にすごく難しい。

古川「そうなんです。僕はよくTHE PINBALLSで、ディズニーランドに行こう!って言ってて。元々は友達だったし、行ったら何かが変わるんじゃないかって本気で思ってたから。結局冗談だと思われていたのか実現しなかったけど、今話していて思ったのは、このメンバーは絶対行くだろうな、と」

松本「行きますね!耳つけて写真撮ろう!」

――後日本当にTwitterにアップされていそう……。

古川「やっぱり調子が良い時のバンドって仲良いイメージなんですよね。だから、なんかおかしいなと思ったら皆で遊びに行くとか、そういうことで親密度って作れるんじゃないかなって」

――そうですね。少し意地悪な質問ですが、THE PINBALLSでそれが出来なかった理由ってなんだと思いますか?

古川「俺がメンバーを疲れさせてしまったせいだと思ってます。もっと話そうよ!とか、気持ちをちゃんと言葉にしてよ!とか……。喩えるなら良い家庭にしたいっていう気持ちが強すぎてお母さんがうるさい状態。それで予定とか食べたい物とかは、このホワイトボードに書いてね!って言っても家族は誰も書いてくれない、みたいな」

松本「分かる。こういうのって恋愛ともよく似ていて、お互いの関係を良くしていきたいなら話合わないといけないこともあるし」

――Outside dandyでも似たような状況があったのでしょうか。

松本「僕の場合は、とにかく色んなことが不安だったんだと思います。Outside dandyを大きくする、そして村上達郎というヴォーカリストをロックスターにするために、自分が頑張らなきゃ!っていう気持ちが強すぎたんでしょうね。料理に喩えるなら、美味しくしようとするあまり余計な味付け加えて、結果的に元の味さえ分からなくなって……みたいな。そうやって何でもかんでも抱え込んですっかり疲れ果ててしまって」

――なるほど。

古川「それぞれ色んなことがあって今このバンドにいるから、今度こそ居心地の良い場所にできたらいいなって。ホワイトボードに何も書いてくれなくたって、家族が元気に帰ってきてくれたら、それだけで幸せ、みたいな」

――新しくバンドを始めるにあたって、不安はなかったんでしょうか。

古川「ありましたね。バンドが動き出してからですが『太陽と雲雀』のミュージック・ビデオを撮っているときに、バンドは完璧だったのに、自分の歌とかパフォーマンスはまだ完璧じゃない気がして。これであと15年やっていけるのかな……。このまま俺が消えても誰も困らないしって、弱気になって。でも、ちょっと不思議なことがあったんです」

――撮影中にですか?

古川「そうです。撮影場所は砂浜だったんですけど、そこに芋虫がいて」

松本「あんなところに!?」

古川「うん。地面に潜ろうとして這い回ってた。すごく暑かったし、このままじゃ死んじゃうと思って、持ってた水を垂らしたら、なんとか潜っていって。最初はほっとしたんだけど、だんだん不安になってきたんですよね。確かにさっきの水で少しは生きられるかもしれないけど、それって余計な苦しみを生んだだけかな、とか。それでもう少し水を垂らしてあげたんだけど、その芋虫が自分のように思えて」

――またバンドを続けても、苦しむだけかもしれない、と。

古川「そうです。バンドをやって、人に音楽が伝わったり、美しい瞬間に出会う事は、太陽に焼かれた砂浜を這い回って、一滴の水が垂れてくる事に似ている部分もあると思うから」

――古川さんにとっての水って、どういうものですか?

古川「今のメンバーって、作った楽曲に対して『良い詞だね』『良い曲だね』『良く作ってきてくれたね』とか、たくさんの言葉をくれるんです。それが助けになったり、救いになったりしてて。そうやって褒められると、また曲が作りたくなって……弱気になっていたのが嘘みたいに前向きになれる。そう考えると、僕にとっての水は、まっつんであり、勇真くんであり、ヒデさんかな。だから、ひとつひとつが当たり前じゃないっていうのは、今までの経験も踏まえて肝に銘じておかないとな、って」

――翔さんはどうですか?

松本「僕が一番不安だったのは、また自分が頑張り過ぎて気負いすぎること。平気なふりして気付いたときにはもうダメになってるパターンがこれまで多かったから、そうなる前にちゃんと自分にブレーキをかけられるようにしないといけないなって」

古川「それはこのバンドのテーマのひとつでもあって、俺とまっつんはわりと頑張るタイプなので、いかに力を抜くかが課題だよねって話してたんです」

――ちゃんと力、抜けてますか?

松本「ふる兄によく怒られてます、頑張り過ぎって。でもひとりで背負い込むことはなくなったかな」

――それは良い傾向。

松本「このバンドを始めるにあたって、なんでも話す、隠し事はナシっていう約束をしたんです。だから、綺麗なことから汚いことまで全部話せてる。それですごく気が楽なんですよね。気付かないうちにコミュニケーションを取れなくなることがバンドをやる上で一番怖いことだから」

古川「本当にしっかりしてる人だから、もうちょっと気を抜いてくれたら嬉しいんですけどね(笑)」

松本「でも最近、バンドマンの友人に会うと『明るくなったね』って言われるんですよ。それって肩の荷が下りている証拠なんだと思います。それと初ライヴの時に先輩のギタリストに言われた言葉が、僕の中ではすごく印象に残ってて」

――どんな言葉だったんですか?

松本「『すごくギタリストだったねって』って。たぶんほかのメンバーのことを信頼できてるが故に、自分の仕事に専念できてるってことなんでしょうね。ありがたいし自信にもなりました」

――翔さんに限らず、今全員がとても健全な状態でバンドに臨んでいるというのが、ステージからも楽曲からもよく伝わってきます。

古川「僕ずっと音楽を作るときは、深いところに潜って苦しみながらじゃないと良いものができないと思い込んでいたんです。でもこのバンドの曲を作っていて、実は違うのかもって。原動力にすべきは、潜っているときの苦しみよりも、そこから浮かび上がってくるときの力の方じゃないかって。苦しんでも、そこから這い上がれなかったらそれで終わりだし。浮かび上がる力の方が、伝える力も強い気がして」

――苦しみから生まれるエネルギーは自分自身を傷つけるから、それに耐えられなくなったら終わりだけど、前向きな気持ちが持つエネルギーだと自分も元気になれますからね。

古川「そう!まさにそれです。あと、気持ちよく初ライヴを迎えられたのは、まっつんがTHE PINBALLSのことまですごく考えてくれたからで」

松本「僕もファンの一人でしたからね。だから、なかったことにはできないし、したくもないし。それに僕、THE PINBALLSのメンバーの話をするふる兄が好きで。本当に彼らを愛していて、感謝しているんだなっていうのが伝わってくるんですよ。過去に感謝できる今って、最高じゃないですか。だからこそ今までのことも大事にしながらこれからを歩んで行きたいって気持ちは強くありました」

古川「悩んでいるときはなかなかそういう気持ちにはなれないこともありましたが、THE PINBALLSの3人は、今の自分を作った生みの親みたいなものなんですよね。彼らが欠けていたものを補ってくれたから生きて来られたし、これからの人生も彼らの存在があったから続いていくものだと思っています。だからこそ、今のバンドとコミュニケーションを精一杯良くしていきたくて」

――初ライヴでも古川さんはTHE PINBALLことを話していましたね。会場には気持ちの整理がつかないまま、当日を迎えたファンの方も多かったと思います。それでもちゃんと話してくれたことで、安心できたり気持ちが晴れたりしたんじゃないかな、と。

古川「そうだったらいいな。今すぐじゃなくても、Outside dandyとTHE PINBALLSは改めて一緒にライヴをした方がいいと思ってるんです。dandyのことは俺が口を出すことじゃないんだけど……。メンバー同士で飲み会とかできたら楽しそうだな、とか。このバンドを大切に続けていけば、そんな未来も来るのかなって」

松本「いつか肩を並べて飲める日が来ると思う。僕らが頑張っていれば」

――楽しみにしています。

松本「その前に、まずはヒデさんの野望を達成しないと!」

――野望?

古川「彼はロックなので、来年CLUB QUATTROやって再来年Zeppだって言い始めて」

――良いですね!

松本「僕、勇真、ヒデさんの3人で話したことなんですが、THE PINBALLSのラストライヴを観たあと、『古川貴之をまたZepp のステージに帰らせてやりたい』って話したんです」

古川「それが口だけじゃないって分かるから、嬉しいよね。だから大変だろうけど、そこに向かって頑張っていきたいと思っています」

 

Text by:イシハラマイ

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